のらりくらり

いつだって漂っていたい

眠れない夜は夢をかぞえる

 

ねむれません。

 

最近また生活リズムが乱れに乱れてニートらしくなってます。ニートじゃあないけど。失業者ですけど。自己嫌悪に苛まれることばかりしていて、大学時代をおもいだす。若かったのと、学生という身分があっただけ充分立派なことか。
あした、むろん今日こそふつうの時間に起きて生活したい。
あたしは自分に甘いのだ。
最近、他人にも迷惑をかけることがしばしばあるが、とてもよくない。あたしはあたしに対してのみ迷惑をかけていいとおもっている、
迷惑。別に他人に迷惑をかけてもいいとおもうよ、へんなはなし、それが信頼できる関係の証だったりする。けれども、ただ単にあたしは迷惑をかけることが許される範囲イコール自分が責任をとれる範囲、だとおもっているから。あたしの守備範囲はとても狭い。
信頼しているとか信頼していないとか、そういうものともちょっとちがう気がする。責任をとれるかとれないか。
どちらかというと自分に対する自信の問題かも。
自分に自信があるけれども根拠がないがために自信がない。ずっとそんなかんじで宙をふらふらしている。不安定なこの状態がすきだけれども逃げ出したい。
 
***
 
あたし、今の恋人さんに愛されているなぁとおもうけれど、あたしもあちらもひとりの人間である限り、その「愛されている」という偶像に甘えよりかかってはいけない、と言い聞かせている部分がある。結局、最悪の事態をどこかしら想定している。これはもう長年の癖みたいなもので、どうしようもない。前の恋人が癇癪持ちで、それはもうどうしようもない、治らない、と言っていたように。その時はあー治す気がないなら一生治らないだろうし、癇癪が起こるたびにあたしは途方に暮れてしまう、そんなのつかれる、って呆然としてしまったけれど、今ならそういった彼女の気持ちがすこしわかる。そうだよね、どうしようもないことって人間ひとつやふたつやもしかしたら無限大に抱えているものだわ。
つまり、あたしはそうやって最悪の事態を想定していて、予め保険をかけておきたいのだ。他に恋人候補を用意しておく、とかそんなんじゃなくて、どちらかというと恋人がいなくなったときの自分を想像しておくってこと。そのときに取り乱さないための準備をしておくってこと。それらを怠るのが、いわゆる幸せ呆けという状態なのだと、なんとなくそうおもう。