のらりくらり

いつだって漂っていたい

風が吹いた音が聞こえた気がした側に佇む君

祖父(母方)がなくなりました。
父方の祖父が亡くなって緊急帰国してはや数ヶ月、無事百箇日も終えて落ち着いた、と思った矢先の出来事。
先週辺りからそろそろ危ない、という話が出ていた(先のエントリにも書いたとおり)から驚きも特になく、ああ今年はこういう年なんだ、なぁとしみじみするのみで。
やっぱり、祖父母というのは肉親だけども一緒に住んでいたこともないからかそんなに近い関係ではないよう。だって、涙がでない。
涙が出る出ないが基準ではない、けれどもぽつりぽつりと泣いているひとたちの中でなんとなく、肩身の狭い思いをするのは事実だなぁ…
かなしい、と感じているのかさえもよくわからない。
大丈夫?と心配されるけれど、あまりにも自分が普段と変わらず落ち着き払い過ぎて、かえって申し訳なくなってしまう。
とにかくあたしは両親を支えるために側にいるのみです。

ずっと身近なひとを失った経験がなくて、そのときあたしはなにを感じどう思うのだろうかとへんなはなし興味深く思っていたけれど、びっくりするほど穏やかで、これが正解なのかよくわからない。
ひとはいつかは死ぬ、ということはわかっていたから、あぁやはり人は死ぬんだ、という実感を得ただけで、悲しみに打ちひしがれたりすることがなかったのかなぁ。
たまにふ、とおもいだす。もう亡くなってしまった祖父のこと。
晩年はずっと家にいても最小限しか動かずにずっと同じところに座ってテレビを見たり本を読んだりしていた。家に行ってぽつりぽつりとしか話さなかったけれど、そういうことがもう二度とできないんだ、ということを思い出してしまう。それはほんとうに唐突に、おもいだす。
いなくなる、ということはそういうこと。二度と一緒になにかをする、ということができなくなるということ。
いなくなっても世界は変わらず回り続けるしあたしも変わらず世界を生き続けるけれど、そうやってあたしの世界の一部はこれからぽつりぽつりと失われて行くのだ、と考えると実感はないけれど、胸の辺りがきもちわるくなるな。
そうなったときに後悔しないように、精一杯好きなひとたちを愛して愛を示して、精一杯自分を楽しんで生きて行かねば なぁ。