のらりくらり

いつだって漂っていたい

原因はわかっているのに動けない 自ら首を絞めていくだけ

相も変わらず博多のおいちゃんたちに夢中です。

しかしわたしの分析癖ってなんなんでしょうね。感情が動かされる人間に出会うと勝手に分析しはじめる。分析癖、と書くとなんだか頭脳明晰な人間のように聞こえるけれどそんな大したものじゃないんだけど。客観的な分析、多くの人間から支持されるようなものなんかではなく、あくまでも主観的で自分の妄想による補完を元にした仮定に過ぎない分析なんだけど。

○カズレーザーさんがすきです。
きっかけはアメトーークの2016年頑張らなきゃいけない芸人みたいな枠。ずっとケラケラ笑っててその笑顔が酷く眩しくて、くらりとした。それが芸人さんにありがちな、オーバーでわざとらしい笑顔じゃなかったからとても興味を持って、検索したら賢い人だと発覚。売れてないときでも「すきなネタをできただけで楽しかった」(wikiより)というエピソードに今の常にヘラヘラしている根源を見出して、そりゃああんないい笑顔になるわなと納得。楽しくて仕方がないんだろうなぁ、と。けれどもその「楽しさ」っていうのは感受性の豊かさだとか、頭の回転の速さだとか、そういうもので自ら見出して楽しくなっている部分っていうのもある気がしてる。
馬鹿は賢く見せることはできないけれど、賢い人は馬鹿な振る舞いをできる、という典型的なタイプなんじゃないかなぁ。言葉は悪いかもしれないけれど。常にヘラヘラ軽薄な笑顔を貼り付けてそのキャラクターを守り続けているけれども、その軽薄さで覆い隠しているものはなんなのか、その笑顔の裏にある本当のところを覗き込んでみたい、なーんて考えてしまうあたり、策略にはまっている気がしてならない。
「クレイジーでクレバー」という言葉が一番しっくりくる。CCだよ。そしてバイだしねぇ、それが特別なことじゃなくって普通のことだと理解しているから、あんなにもあっけらかんと言ってのけるんだろうな。オープンにしたほうが、長期的に見ると楽だってこともわかってるんだろうなぁ。
とにかく、いい意味で本能のまま生きているその生き様がいっそ美しい。わたし自由に生きている方だと思うけれど、それでもブレブレだなぁと彼を見ていると思う。もっとわたしも軽薄になりたい。ヘラヘラしながら何考えてるかわからないと思われる人間になりたい。明日のことなどお構いなしで、昨日の自分を毎日肥料にしながら。
けれどもわたしにはそれができるほどの学がない。学という保険がないから、無難に生きるしかない。それを保険代わりにしている。
それは、なんでつまらない人生なのだろう。

最近、もっとシンプルに生きたいと思うようになった。IT社会と呼ばれるこの世の中で、電気がなくなってもたくましく生きていけるように、日頃から訓練しなければ、と。何にも依存せず、あるがままで、与えられたものと選択したものを大切に、過剰に求めもせず、これは所謂諸行無常を基礎としたいのかしら。

○仕事のできる人間は、部屋にものが少ない。
この仮説を証明したいなぁ。理由もあるんだけど、実例が少なすぎるもんなぁ。

なんか他にも色々書きたいことあったんだけど、もうさすがに寝る。ジークジオン!