のらりくらり

いつだって漂っていたい

このままじゃわたし思い出にころされる その確信がわたしをころす

もっと過去を削ぎ落として生きていきたい、ちゃんと生きるためにちゃらんぽらんになりたいのだけれども、データ収集癖とそれに伴う快楽を手放せないのでどうもまだその域には至ることはできなさそうです。
結局わたしがなにかに「はまる」のって、データ収集して解析するあそびに似ているのかもしれない。

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プライズが苦手です。
元々はそんなことなかったのだけど、サプライズに対する敷居が高くなってしまったこのご時世において、サプライズが苦手になってしまった。
特別な人である証明としてのサプライズが苦手。本来の目的が肥大化してしまったサプライズが苦手。
大量生産大量消費が主流の日本ですけど(最近はそうでもないか?)、人の感情までそれに倣うことないのにねぇ。
はじめはちょっとしたところだけだった、「喜ばせる」ために内緒で準備して驚かせると同時に喜びを生む、それだけだった。
それが「当たり前」のイベントになったせいで「驚かせる」ことに対するハードルが高まる一方のサプライズ市場はどこまでいくのでしょうか。
プレゼントを添えるだけだったのが手作りのものになり、手作りの何かと既製品になり、手作りのケーキを添えてみたり風船を大量に用意してみたり、数人で企画した盛大なものになったり見知らぬ人を巻き込んでの一大イベントになったりうわぁぁぁぁぁあしんどい!しんどいよ!!

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バイト先にとあるカップルが来た。男性の誕生日を祝うために前もって店にプレゼントを預け、バースデープレートと一緒にサプライズを演出していた。そのプレゼントの一つが手作りアルバムで、そのアルバムがちらっと見えたらしいスタッフがわたしに興奮した面持ちで話してきた。
「小さい頃の写真まであって!幼馴染かなぁと思って!」
けれどもその興奮とは裏腹に、わたしの心は冷めきっていた。過去の恋人の姿を知りたいのであれば自分たちの小さい頃の写真を見せ合うことも考えられるし、サプライズを演出するために友人に頼んで内緒で写真をもらったということも考えられる。今時の若者たちなら、苦もなくそういったことくらいするだろう。「特別」な相手であることと「特別」な自分であるための確認作業は何よりも大切なのだから。
幼馴染ラブという漫画のような設定を思い興奮するスタッフ(年下男)と上のような冷めきった考えなわたし(三十路女)。男性はロマンチストが多いとは言うけれども、まさに如実な差が出たものですよ…年下男とは5歳ほどの差があるのだが、たかだか5年でわたしも年老いたもんだなぁ。
まぁでもそうか、わたし25歳の頃は恋人と楽しく過ごしていたものなぁ。サプライズもそれなりに頑張っていたなぁ。

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「特別な人間」になりたい人が多いのだとおもう。小さい頃は夢に溢れていた、自分が特別ななにかになれるという希望を抱いていた。それは極一部の選ばれた人間か、努力を継続できる人間だけだと気付いた凡人は、せめて「誰かの特別」になりたいと願うようになる。そのための手段が「サプライズ」なのだろう。
そこに容易に見せびらかすことのできるSNSというツールが加わったのが現状を悪化させた一因だとおもう。自分が特別であることの証明者を募るために発信し、反応を得ることで安心し満足する。しかしそれは一個人の承認欲求を満たすに留まらず、他人に対して競争意識を植え付ける。自分と他者をうまく切り離せず、価値観を自分で定められない若者は、自分がより特別であることを証明したくなる。「いいね」と称し「羨ましい」と言いながらも、虎視眈々と自分の番を狙っている。
誰よりも特別な自分になるために。

まぁあたしも平々凡々な人間なので、おそらくあたしみたいにサプライズ市場に疲弊する人間が増えていくのではなかろうか、と平々凡々な予測をして締めたいと思います(な、投げやり!)